時代の方向性と人ひとりが目覚めるということー認識技術(nTech)と人間1人の可能性②
前回の続きです。
認識技術(nTech)は役に立つ技術なのか?
その答えを出すヒントが、人間の現在地を知ることです。
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人類が誕生してから500万年間と言われています。
そのときから比べたら時代は大きく変わりました。
さまざまなものが発明され
狩猟採集の時代から農業革命によって、食料の自給ができるようになり食環境が改善されました。
その後、科学技術の発達により産業革命が起きることで、多くの物商品が開発され
物質的にはかなり満たされてきていることと思います。
さらにIT革命が起きコンピュータが開発され、
AI、人工知能の進化発達もめざましく、人間を超える知能を持つ存在も出てきており
人間の外側である環境自体は大きく変化しています。
ですがはたして
その環境の中で生きている『人間そのもの』『人間の中身』は変化していると言えるでしょうか。
そのやり方や形は違えど、
人は人を憎み、争い、攻撃しあっている…
人とわかりあい、愛し合うということができず、
自分や自分たちのの私利私欲に溺れ、平和をつくることができない…
そういったことを今も昔も変わらずやり続けている
…これが人間の現在地です。
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残念ながら本当にそうです。
日本社会を見てみても
鬱・自殺をする人は年々増加し
多様な情報に踊らされ、知識をつければつけるほどどんどん苦しくなっています。
なぜ、なんのために生まれてきたかも分からず
かといって死ぬこともできないので
自分の今いる環境の中でなんとかできること、決まった選択肢の中で
なんとなく納得できそうなものを選んで生きている。
まさに『死ねないから生きている』状態です。
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人間の外側だけを開発・開拓してきたこの500万年の人類歴史ですが
それでは明らかに限界だと言えると思います。
認識技術(nTech)は人間の内側を開発・開拓していく技術です。
『自分と自分の宇宙が実在しない』ことを明々白々に理解できることで
自分と相手、自分と世界、自分と宇宙との境界線がなくなっていきます。
つまりそれは差が取れた世界、悟りの境地であると言えます。
そのように、真理そのものが自分になって生きること…
このことにとても大きな意味があります。
この体の自分を超えて
過去からつくった思い込みを手放して
可能性そのもので生きることで
既存の人間の生き方を超えていくことができます。
自分の価値、尊厳、可能性があまりにも小さくさせられ
できることの範囲も限りなく押しつぶされている人間の現在地を
こんなものだ!と決めつけてしまうことは
どれだけ悲惨で残酷なことなのか…
人間が愛しくてたまらない、愛したくてたまらない
そんな認識を持つことができるのが認識技術(nTech)。
まずはその全体像を知っていただくことをオススメしています。
https://youtu.be/4AAQmZBAg5c
(紹介映像です↑)
創始者であるNoh Jesuが行なっている1日のセミナーがあるので、
もしよければぜひいらしてください。
http://www.nr-japan.co.jp/nohjesu/index.html