哲学×プログラミング思考で教育革命!

意識と無意識を繋げる『認識技術(nTech)』を活用し、自分の変化からOne Worldまでの出逢い革命を起こしてます

わけのわからない社会の原因ーーマイストーリー②

ーー『わけが分からない社会』から『わかり合えるのが当たり前』の社会環境づくりのため
nTech(認識技術)で世界をリライズさせていくーー

 

こんにちは、みかりです。

 

数回にわたって、自分の過去のストーリーをお届けしています。

今回は2回目になります。

 

ーーーーー

 

こんなにもわけが分からない社会に私たちは生きていて
人間同士、わかり合うことが難しいのならば


上辺だけでも傷付かないように
笑顔で頑張って、でも深入りされないように心を守る…

そんな風に生きていこうと
わかり合うことを諦めていたいた時に
認識技術(nTech)と出会いました。


ーーーーー

出会ってまず衝撃を受けたのが
人間はみな共通して『認識疾患』だということです。


認識疾患とは、
自分が固定して持っているイメージから自由になることができず
知識や体験経験が増えれば増えるほど、その固定概念は強化になっていき
しかも無意識深く刻み込まれた決めつけに疑問を持つこともできずに
鵜呑みにしてしまっている状態のことです。


私たちは自分の持っている判断基準に固定した状態で人と出会っています。
これはどういうことかといえば、
判断基準が完璧に同じなことはありえないので
本当の意味で分かり合えることは不可能な状態である、いうことです。

 

人間に対してある程度諦めがあったとはいえ
人間に秘められた可能性や美しさも信じていた私にとって

このことはとても衝撃的で、受け入れがたいことでした。

 

今のままの人間同士では『分かり合えること』はそもそも不可能であり
そんな人たちが集まった社会秩序では戦争が終わることはあり得ない…
そのことを理解してしまったのです。

 


どうしてこんなに科学技術やIT技術の開発により、生活が豊かになった現代社会においても
国と国の戦争はもちろんのこと、個人間での争いも終わることを知らないのか。

 

そんな人類が500万年間ずっと抱えてきた限界と
それによってあらゆる問題が生み出されているという現在地が分かったからこそ

 

『じゃあどうしたらいいのか?』

 

そんな解決策も同時にみることができました。

 

 


ーーーーー


自分の観点から自由になれないことが問題だとしたら
その創り上げられた観点をオールゼロ化させること。

思い込みもない、悩みも不安もない、

自分と自分の宇宙は存在しない。

 

その全くなにもない、無境界線の世界が当たり前の共通土台をつくること…

まずここからだということがわかりました。


無境界線の世界から、どうして模様形があるように見えるのか。

そんな無から有が生まれる仕組みを明確に理解するために

人間一人ひとりの認識のバージョンアップが必須であることが見えてきたのです。

 

 

 

その③へつづく

『わかりあうことができない』ことが当たり前だった私。ーーマイストーリー①

 

ーー人間の認識次元のバージョンアップを可能にするnTech(認識技術)を使って
誰も傷つかない社会を作るーー

 

 

こんにちは、みかりです。


「分かり合えることが当たり前の社会をつくること」を目標に活動しています。

 

今ではそんなことを確信を持って発信することができるようになりましたが、

nTech-認識技術と出会うまでは、

 

『どうせ人はわかり合うことはできないんだ』

と確信をもって思っていました。

 

今回はせっかくなので

数回にわたって自分の過去を振り返ってみようと思います。

 

 

ーーーーーーーーー

 

 

私は幼少期のころに母に言われた、

『世界の裏側ではまだ戦争が起きているんだよ』

という言葉が今でも印象に残っています。

 


当時の私は実際に戦争が現在も行われているということをイメージすることも難しく
なぜ大の大人が争いを止めることができず、傷つけあっているのか
まったく理解できませんでした。

 

なぜ話し合いで解決することができず、
人を殺してまでなにかをやらなければならないのか。

自分の置かれていた環境からはどうしても想像できませんでした。

 


母の一言から社会のことに関心を持っていたことに加え、
父が共産党員として活動していたこともあったため

 

私は世界情勢のことだけでなく、

中学生の頃には政治の分野にも興味を持つようになりました。

 

貪るように新聞を読み、
ニュースを見て少しずつ社会のことを知っていくうちに、

 

皮肉にも『この社会は本当にわけのわからない社会だ』ということがわかるようになってきました。

 


競争を強いられているのが資本主義社会の仕組みであり
その共通土台のプレートの上に私たちは生きており

 

この資本主義ゲームの勝負に勝つためには
倫理的にみたら正しいとされているようなことは簡単に裏切られ
人の命ですらもお金より価値が低いような
そんな社会に私たちは生きているということを
感覚的に確信してしまったのです。

 


それだけではなくそんな『わけの分からない社会』に生きている私たちは、
個々人のレベルでみて『わけが分からず分かり合えない』いうことにも、いやでも確信していきました。

 


どんなに仲の良かった親友でも悪気なく言った一言に激怒し絶交され

なんでも話して信頼していた母親でも『そんなこと言うなら、もう勝手にして』と切り捨てられ

 

あんなに近くにいて、分かり合えていたと思っていた存在ですら
まったく分かり合えてはおらず、傷つけ合い、嫌がられてしまうという経験を私は蓄積していきました。

 


わかり合うことを諦めたくない、と思って人と接する私がいる反面、

どうせ分かってもらえないんだ、という諦めを積み重ねていました。

 

 


もう、わかり合うことは諦めてせめて人に嫌われないように笑顔でいようと

私はどんなに泣きたかったり怒りで震えたときも
気づけば人前では笑顔が張り付いたままになるようになっていきました。

 


これでいいのかな、と思うときもありました。

 

私は本当はなにをしたいんだろう。
私は何者になりたいんだろう。
私はなにを成し遂げるために生まれてきたんだろう。

 

 

こんなに嘘ばっかりついて
思ったことも言えないで
相手に嫌われないように、あわせてあわせて
自分の感情が隠れるくらい笑顔をつくって

そんなことばかりを繰り返している自分の人生。

 

 

答えのない迷路に常に自分が存在しているようで…
でもその『わからないということ』が当たり前になりすぎていて

答えを見つけようとすることすら諦めていました。

 


そんな自分の生きる方向性を定めることを手放し諦めていたときに
出会ったのがnTech(認識技術)でした。

 

 

マイストーリー②へつづきます

 

 

 

 

NOと言える勇気


こんにちは、みかりです。


私はもともと、とにかくNOと言われるのが嫌いでした。
断られるのが極端に怖いのです。


でも、基本的には、
だれしも断られるのって嫌ですよね。
きっとみなさん共通のことかと思います。


ただその出来事に対して断られただけなのに、
まるで自分の全てを否定されたように感じてしまったり
受け入れてもらえないように感じることってありませんか?

 

ご飯に誘うにも、断られたらどうしよう。

ただ予定が合わないだけだといわれても本当かと疑ってしまう。
もう断られるくらいならあなたなんていいや、と切り捨ててしまったり
自分に問題があるのかな…と落ち込んでみたり。


そんなことはないと頭ではわかっていたとしても
なんだか釈然としない不安が残ってしまったり…

関係性が近ければ近いほど
NOと言われる恐怖が襲ってきてしまうことも多いと思います。

 

そんなことにとらわれず、もっと気軽に提案できたらいいのに…

そんな風に思うことはあっても
仮に断られることがが続いたら心がぽっきん折れてしまう。


断られることへの恐怖を感じているからこそ
もし自分が提案される場面になった時は
逆に自分も断れなくなってしまったり

もしくは提案されることが嫌になり
関わり自体を拒絶したり
音信不通になってしまったり。


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これがお金の使い方にどう現れるのか?


例えば、行きたくないのに断れないから使う飲み会。
本当は行きたくない気持ちを抑え、
付き合いだけで参加するのははっきり言って無駄ですし


嫌々な気持ちでの交流など心から楽しめるわけではないので
着々とストレスが溜まって行きます。
そのストレスの発散のために無駄な浪費に走ってしまったら…

もう、負の連鎖が起きてしまいますね。


ーーーーー


現れる現象は時と場合によって違くなるとは思いますが
結局のところ根本原因をみたら

『NOと断ることに抵抗がある』
『自分は断る価値がない人間だ』
『自分は相手にあわせなくてはならない存在だ』

『『どうせ、私なんて。』』


…そこにアイデンティティが固定していることが問題です。

 


「いやいやいや、

さすがにそこまで極端に思ってないよ!」


と、感じる方も多いかと思います。


けどこれって無意識ふかーーーい部分だったりするので
認識できることは非常に難しいものです。


そもそも人間は
根底は『私はダメだー』と思うようにセッティングされているので
ぜっっっっっったい、『私なんて』と思う無意識はあります。

 

どんなにポジティブだろうが
成功していようが
大金持ちだろうが
今幸せだと感じていても、です。


そこを綺麗にリセットできないかぎり
ぐるぐるぐる無間地獄・・・
何度でも永遠に繰り返します。


そんな現在地にきちんと気づけることがとっても重要です。


地獄のような現在地に気づけるから
本物の天国に行くことができます。


自分をリセットできるから
再創造もできるようになるのです。

 

 

 

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わくわくがとまらないお金の使い方とは

 

今日はお金の使い方について書きたいと思います。


本当は、お金を楽しく使いたいですよね。

お金を使えば使うほど、ワクワクが止まらない!
自分がどんどん成長できるし
相手とも相互循環が起きて
心から良かったと思うことができ、
魂が喜ぶような深い満足感を得ることができる。

そんな風にワクワクお金を使えたら
とっても素敵じゃないですか?


でも実際は
ついつい衝動買いするけど結局あまり必要じゃなくて後悔したり
本心で食べたいわけではないのに食べてしまうことにお金を使ったり
本当に欲しいかはわからないけれど見栄のために物を買ったり
お金を増やすことに執着してやみくもに投資に手を出してみたり

なんとなくの自分のクセや周りに流されたりして
お金を使ってしまっていませんか。

 

心から楽しくお金を使うことができるように
貯金を十分にしてお金の心配がない状態にしてみたり
少しでも社会貢献しようと募金をしてみたり
はたまた、自分の趣味にパーっとお金を使ってみたり

そのようにお金を使ってみることもあるかもしれません。


…実は
お金の使い方よりもとても重要なことがあります。

それが
自分の持っているお金のイメージを知ることです。

 

 

私たちは、お金に対して固定したイメージを持っており
社会や環境がつくった思い込みによって
お金に対して歪んだイメージを持ってしまっていることがほとんどです。


お金に対してどんな意味づけ・価値付けをしているかは個々人によって異なりますが
自分のお金に対する固定観念から自由になれない限り
心から満たされたお金の使い方はできません。


自分の固定した観点を手放すことで
本当の意味で自由にお金を使うことができ
囚われや執着がどんどんなくなっていきます。


そういった観点固定を綺麗にゼロ化する技術が認識技術です。


お金からとらわれ、お金が原因で不安を生み出すのではなく、
わくわくクリエイティブのためにお金を使えるようになったら、
人生は本当に素晴らしいものになります!

 

気になることや、聞いてみたいことがあれば
お気軽に下記のフォームまでお問い合わせください。

 

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ブログを通してQ&Aができたら面白いなーとも思っているので
質問もぜひおまちしてます(^^)

 

成長欲求が止まらない生き方からシフトチェンジするには

 

もっと成長したい
もっと収入をアップさせたい
もっと成功したい


これってパッとみた印象では
悪い感じはしないですよね。

 

ですが…
それを続けていると
ちょっと疲れちゃうとき、ないですか。


自分をよくしようと思えば思うほど
プラスにしていこうと思えば思うほど
それと同時に
自分のマイナス部分にも自然と目がいってしまうものです。


結局、自分がどう思うかというよりも
周りからどう思われるか、といったところで
自身のモチベーションを保っている場合も多いです。


もっともっともっともっと…
周りからはうまくいっているというふうに見られていたとしても
お金があっても、仕事がうまく回っていても
恋人がいても、家族の仲が良くても

どこか、根本的に感じている孤独感があったり。


いつからただ楽しいというだけで、選択ができなくなってしまったのか。
なにも気にせず、ただ楽しいという理由だけでなにかをやりきりたい。


…そんな風に思って
誰かのために行動さえすれば何かが変わるかと思い
ボランティアや社会貢献に育んだとしても


考えをリフレッシュするために
旅行してぼーっといつもと違う環境で自然に触れてみても


気分を上げて特別感を感じるために
パートナーと一緒にステキなディナーの時間を過ごしたとしても


気分が良くなり、満たされたように感じるかもしれませんが
それは日常から見たらほんの一瞬にすぎません。


結局は日常の瞬間瞬間が満たされたものにならない限り
いつまでたっても深く満たされているとは言えないのです。


なにをしても、なにを得ても
結局それが続けばマンネリしてしまい
欲求が際限なく続くのが人間の現在地です。


そんなもんだからしょうがない…
と思うかもしれませんが、

そんな生き方は人間がする生き方ではありません。


人間がマンネリしてしまうことには仕組みがあります。

目で見ている世界が絶対で、
そこだけで生きるのが当たり前だと思ってしまいますが

 

本来は、どこまでも広く、深い洞察をすることができます。


人間の目からこの世界を認識することをやめて
宇宙の外から今ここを認識し
奇跡と感動に溢れ、ワクワクが止まらない生き方へと
私たちはシフトチェンジするべきです。

 

際限がない自分の欲を満たし続ける人生から
自分が心から望んで楽しむことができる

そんなライフスタイルを送りませんか?

 

ご興味がある方
ぜひ下記までお問い合わせくださいませ(*'ω'*)

 

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お金から自由になるために必要なこと

インターネット上を見渡してみても、

雑誌や書籍などをのぞいてみても

 

お金について書かれているものはたくさんあります。

 

このことからも、

お金に興味が強い方が非常に多いことが分かります。

 

 

ですが、なぜこんなにお金に関する記事はたくさんあり、

お金に関する問題の解決策も提示している方も多いのにも関わらず

一向に人のお金の悩みがなくなることがないのか?

 

なんだか不思議ではないでしょうか。

 

情報を入手し、努力することによって

お金を多く稼ぐことができるようになったとして、

 心配がなくなったりすることも、あるかもしれませんが。

 

でも正直、それって一時的なものだったりしませんか?

 

 

もし、もし仮にですよ

年収が今の10倍になったとします。

 

 

生活も豊かになって

今よりももっと欲しいものを買えるようにもなるでしょう。

 

 

ですがもし、生活レベルが上がったとしても

今度は、その生活を維持するためのお金を捻出しなければならないため

稼ぎ続けなければなりません。

 

それが嫌だからといって

生活レベルを変えないとしたら

一体なんのためにお金を稼いでいるのか、、

老後の貯蓄のためだけに今の時間を必死に使うのも、なんだか虚しくなりませんか。

 

 

 

はっきり言いますが、

お金は単なる道具なので、あれば幸せになれるというものではありません。

 

それなのに、やみくもに

お金さえあればいいのにって思っている方がとても多いように思います。

 

 

…とはいえ、私もそんな1人でした。

お金を稼ぐことに意識を向け、どうにかしようと躍起になっていたこともあります。

 

でもそれでは根本的にはなにも変わらなかった。

それどころか

 

「お金がない、

足りない。」

 

というように、そこに意識が向いていたため

不足感や焦り、恐れの感情も多く出てきていました。

 

 

結局、お金は道具にすぎません。

お金を稼いだからお金から自由になるわけではないです。

 

どれだけお金を持っているか、よりも

お金をどう使うのか、

なんのために使うのか。

 

お金はエネルギーなので、
自分のエネルギー(=お金)をいったいどこに使うのか、、、

 

意識するべきはそういったことだったりします。

 

 

 

 

お金の使い方で、人生の使い方もみえてきます。

 

お金から自由になるには

自分の人生から自由になること。

 

自分の人生から自由になるためには

自分の考えや感情、言葉、行動を自分の意志で行えることが必要です。

 

 

…実は誰しも

自分の考え感情言葉行動をコントロールできず

条件反射で物事に反応してしまっているのです。

 

それを客観的に整理することで

本当の意味で自分の人生を生きれるようになり

人生が自由になり

結果的に、お金からも自由になるのです。

 

 

 

 

お金と人の命はどちらに価値があるのか

 

’お金と人の命はどちらが大事?‘

 

倫理的に考えたら、どう考えても人の命だと言えるでしょう。

人ひとりの可能性を考えたら、お金いくら分の価値になるか計り知れない、と。

 

 

…ですがそんなものは綺麗事であったと

私は大人になるにつれ、考えを改めるようになっていきました。

 

***

 

私の幼少期のころ

母親の言っていたことで今でも印象に残っていることがあります。

 

それは

 

「まだ  ‘がいこく’  では、戦争をしているところがあるんだよ。」

 

 

私は‘がいこく’がどこにあるのか、どういった場所なのか、

そういったことはよく分かっていませんでした。

 

ですがとにかく不思議に思っていたのは

どうして未だに、人を殺したり傷つけるようなことが当たり前のように起こってしまっているのか、ということです。

 

 

 

幼稚園に通っていた私は

先生から「ケンカしちゃいけないよ」と言われてきました。

 

大人はそんな風に子どもに言っているのに、どうして大人同士が争いをするんだろう?

 

大人だったらなおさら、話し合いで解決できるのではないの?

 

私は、戦争が起きているという事実に対して「ひどい」「怒り」「悔しい」などといった感情が出てくるというよりも

単純に疑問に思うようになりました。

 

 

 

 

その後、様々な経験をしていくなかで「社会の仕組みはどうなっているのか」を知るようになります。

 

そうしていくとだんだん気づいていくことがありました。

 

 

私たちの過ごしている社会は資本主義社会であり

すべてはお金で管理されていているということ。

 

 

国家を繁栄させるために

どこかの国を植民地化することが繰り返されていたということ。

 

 

軍事産業は非常に大きな収入源であり、
そのために戦争を起こしているとすらいえるということ。

 

 

 

そういった世の中の裏側の仕組みを知ったときに

「人の命よりもお金の方が価値があるのがこの社会なんだ」

と、私は思うようになっていったのです。

 

 

そんなわけないと反発する気持ちも、もちろんありました。

ですが資本主義の仕組みを紐解いたときに

どうしても、そういった全体像がみえてきてしまい、受け入れざるを得なかったのです。

 

 

もちろん

資本主義のおかげで受けている恩恵もあることも分かっていますし、

一概にお金という仕組みを生み出した資本主義社会を否定したいわけではありません。

 

お金があることでどれだけ価値の交換が容易になったのか、

その効能は計り知れないことです。

 

 

だからこそ

現時点での資本主義の限界をただ眺めているのではなく、

資本主義を生かした新しい仕組みが必要になってきています。

 

その代案を出すことができずにいるのが、今の経済の限界ともいえるのではないでしょうか。

 

 

 

現在の社会では、人間が生み出したお金という道具によって

社会、つまりは人間の心が支配されていると言えるでしょう。

 

 

お金にコントロールされるのではなく、

お金をコントロールする主体が自分になること。

 

お金がいくらあろうが、なかろうが

お金によって判断が縛られているならば、それはお金の奴隷であることに変わりはありません。

 

 

本質的に資本主義経済を変化させるには、社会環境から変えていく必要がありますが

まずは個人一人一人の認識の変化からお金から自由になれることも重要です。

 

 

そのサポートができるように発信していきたいと思っています。

 

ここまで読んでくださり、ありがとうございました。