哲学×プログラミング思考で教育革命!

意識と無意識を繋げる『認識技術(nTech)』を活用し、自分の変化からOne Worldまでの出逢い革命を起こしてます

自分の考えを本質的に変えるために必要なこと


本質的に変化を起こすためには
まず正しく思考することが必要であり、

 

そのためには自分の思考パターンを知ることが重要だ、と
以前の記事で書きました。

 

mikari9.hatenablog.com

 


そうやって考えの外に出ること、
それがまず大事ではありますが


これだけでは終わりません、
次のステップがあります。


なぜ自身の考えの癖が生まれたのか、
そこを見ていく必要があります。


***


生まれた瞬間に考えが生まれるわけではありません。
(一人ひとり、資質の違いはありますが、、、)

 

思考パターンや判断基準が生まれるには、間違いなく育った環境が影響しています。

 

生まれたばかりの赤ちゃんは、基本的に母親なしには生きていくことができません。

だからこそ母親(もしくはその代わりの方)の影響を色濃く受けています。

子供は「母に見捨てられたら生きていけない」と本能的に感じているのです。

 

 

このことは多くの心理学などでも言われていることかと思います。

なのでもしかしたら、ご自身なりに自分が受けた母親からの影響について整理されている方も多いかもしれません。


ですがここで重要なことは
きちんと客観的に整理することです。

 

 

どういうことか?
自分の立場から過去の幼少期の自分の出来事を振り返った場合に陥りやすいことがある、ということです。


それが自分の考えに固執してしまうこと、
自分が感じたことを絶対だと思ってしまうということです。

 

 

***

 

母親に頭ごなしに怒られることが多くて、いつも母親の表情が気になってしまうようになった人がいたとします。

 

その人は母親だけではなく、きっと他の人に対しても
「自分がどう思われているのか・どうすれば怒られないですむのか」を気にしながら生きるようになる可能性が高いです。


当時の自分と母親との関係性で
「自分は怒られないように相手の目を気にするようになってしまった」
とまでは、自己解析できるかもしれません。

 

ですがその因果関係がどうなっているのか、客観的に整理をして理解できることがとっても重要なことです。

 

なぜならその因果関係が整理できていなければ、そこから自由になることができないからです。

 

 

客観的とは…
母親の立場もわかった上で「どうしてこういう表現をするようになったのか」
ということを理解することです。


どうして母親はすぐに怒ってしまったのか。
母親自身の思考パターンや判断基準はなんだったのか。
本当にいつも怒られるような事象しか起きていなかったのか。
などなど…

 

自分が何をしてどう思ったかということの整理はもちろんのこと
母親はなぜそういった表現をしたのか?といったことまで理解することが重要です。

 


***

 

私たちの思考パターンの基準は、0〜12歳までの時期に形成されるといいます。

それは言い方を変えれば、
そんな未熟な時期にできた判断基準にわたし達はつかまれてしまっているということです。

 


人間は誰しも未熟を持ちながら生きていますし、
間違いを起こすこともあります。

 


子供の頃は絶対的な存在であった母親も
実は未熟なところもあるということに気付いたのは、ある程度大人になってからの人が多いのではないでしょうか。


そんな未熟な者同士の関係性で生まれた自分の判断基準に縛られる必要はありませんし
その判断基準や思考パターンが生まれた背景を客観的にみれることで

そこから自由になっていくことができます。

 


なかなか難しいかもしれませんが
どこまでも客観的に整理できること、

 

もっといえば、なぜ母親の思考パターンが生まれたのか、
どんな環境や時代に生まれたからなのかといったところまで…

 

そこをたどっていくと

なぜ日本が今のような日本になったのか
なぜ世界はこんな世界になったのか

 

時代や歴史の背景を紐解いた先に
「人間はなぜ生まれたのか」
といった哲学的なところまでたどり着きます。

 


ここまでいくと壮大な話のようになってしまいますが…
そんな壮大な話から、今ここがつながるようになると、

 

この瞬間生きていることがとっても楽しくなります(*´-`)


ただ自分の思考パターンを整理するだけに止まらない、
そんな整理の仕方が理想ですよね。

 


私は認識技術といった技術をマスターしていますが
こちら、とてもオススメなのと

 

一刻も早く多くの人が手にしてくれたら
もっと自由な社会が生まれるのになー…と思いを馳せたりしています。

 

 

どこまでも物事を整理して客観的に観ることができるから、

本当に相手を理解し、わかりあうことができるようになります。

 


ぜひ、興味がある方はチェックしてみてくださいね!

 

「観術-かんじゅつ-」とは? | NR JAPAN株式会社 -認識が世界を変える-

 

 

 

 

 

収入の多さよりも気をつけるべきこと

こんばんは。

昨日の記事の続きを…と思ったのですが

 

そういえば、ブログタイトルが
『お金の使い方から読み解く人生論』にも関わらず
お金に関する話題を何一つしていない…と思いましたので笑、


今回は少し話を脱線させて…というか
むしろ閑話休題といいますか。

お金に関するお話を少ししたいと思います。

 

✳︎✳︎✳︎


私は普段、ファイナンシャルプランナーとして働いています。


主に個人の資産運用や保険の見直しなどのご相談にのっているのですが、

そういったご相談の延長線上から
個々人のお金の流れが見えるようになりました。

 


どこからどの程度の収入を得ているか、といったお金の入り口から
どのようにどれくらいを使っているか、といったお金の出口まで

そしてだいたいの貯蓄額についてもみえてくるようになりました。


そういった事例を蓄積してきたなかで、気付いたことがあります。


以前の私は、
いかに収入があるかで、ある程度の豊かさの度合いは決まってくるものと思っていました。


とはいえ
精神的な豊かさはお金の有無とイコールではないと思ってはいたものの

少なくとも
物質的な豊かさは収入の有無とイコールだと思っていました。

 

ですが。
物質的な豊かさですら、収入の多さには関係ないことが分かってきたのです。

 


声を大にしてお伝えしたいのは

収入の多さといったお金の入口より
どこに使うかのお金の出口がその何倍も重要だ、ということです。

 

このことに気づいた時には
目からウロコ…ではありましたが


仕組みでみれば当然のことだよな…と納得いたしました。

 


私は認識技術という物事の観方を多角的に観る技術を学んでおり
仕事にも活用しています。

 

その認識技術を利用し物事の外から様々な方のパターンを観た時に


なぜお金の入口よりも出口が大事なのか、
なぜお金を貯められない人がいるのか、
なぜいくら貯金があっても不安は消えないのか、
なぜ借金を繰り返してしまうのか、
そしてなぜ、お金に囚われてしまうのか…。


あらゆるお金に関する疑問が整理され、

それと同時に
どうすれば物心両面の豊かさを手に入れることができるようになるのか、

その方法をお伝えできるようになってきました。

 


とはいえ、簡単なことではありませんし
一長一短でうまくいくと言える話でもありません。

 


ですが短絡的な方法論ではなく
永続的にコピーでき、みんなで豊かになれる方法を私は選択しています。

 

少しずつ、お金のという道具を使いながら
本物の豊かさを手にすることをお伝えしていけたらと思っています。

 


お金の使い方は、人生の使い方と同じです。

もしうまくコントロールできないのであれば、一度パターンを見直してみてくださいね。


ここまで読んでいただきありがとうございました。

 

本物の変化を起こすための『正しい思考』とは

 

昨日の記事では
本質的な変化とはなんなのか、
どこからどこまで変化したらいいのか
…について記載しました。

では、

本物の変化はどうやって起こすのか。
なぜ変わりたいと思っているのに、変われないのか。


そのことついて書いていきたいと思います。


***


変化を起こすうえでまず取り組むべきこととして
どのように思考するか、ということがあげられます。

 

人は思考するときに、誰しも一定のクセがはたらき
『物事を判断するモノサシ』を使っています。

しかもそれは無意識的なものであり、
その思考パターンは反射的に働いてしまいます。


どういうことかというと、

Aという条件そろったら
勝手にBという思考や感情が生まれてきてしまう、ということです。

 

たとえば


(A)親身になって話を聞く人をみたら
(B)なにを求められてるんだ?と思ってしまって
反射的に反発してしまう、とか


(A)好きだよ、と言われたら
(B)どうせ私が笑顔で愛嬌よくしてるからでしょ…と
反射的に思ってしまう、とか


(A)自信満々に意見をする人に会ったら(A)
(B)なんだよどうせ口だけのくせに…と
反射的に思ってしまうというように


思考もある程度パターン化されています。

 

だからそもそも、
思考しているようで考えられていないし

思考するという行為自体も
自分のクセ、、つまり惰性で行なっていることがほとんどです。

なぜかといえば
勝手に思考が反射的に生まれているだけだからです。

 

この思考を無理やりポジティブなものに変えようとしたり
そのように考えないように押し込んだり

そうやって変化しようとする人がほとんどですが


そもそも
自分の思考がどう成り立っているのか、その仕組みが分からなければ
正しく思考することはできません。

わかっているふり、
なんとなくのコミュニケーションしかとれないのです。

 


まずは自分の思考の仕組みを知り、
考えの外に出ること。

考えに支配されている人間にとって、
どう思考するかということはとても重要です。


これが本物の変化を作るうえでの
大切な第1ステップになってきます。


では次回は
どうして勝手に考えの基準が生まれてしまうのか

その仕組みについて見ていきたいと思います。

 

 

本物の変化を起こすためには

人が変化するためには
どうしたらいいのでしょうか。

 

 

たくさんの人と関わる中で感じていることがあります。

それが、

「人って、ほんとに
変わることが難しい。」

ということ。


無意識で自分が決めているパターンを繰り返して
そこからなかなか自由になれない。。。


たいがいの方は
とある成功法則にすがったり
お金や物質的な豊かさで満たすことで
変化しようとします。

 

ですが結局、
それらは現象的な変化を生み出すだけで
根本的な変化を起こすことは本当に難しい。。


成功してるように見えるあの人も
幸せそうに見えるあの人も


本質的な変化を起こすことはできていない。

 

 

さて、ここで注目すべきところが

 

『本質的な変化とはなんなのか?

どこからどこまで変われば、変化したと言えるのか?』

ということです。

 

まずそこを明確に規定できなければ

本当の変化はつくれない。


ですがそこまで思考できる人は
なかなかいないと思います。

 

(それだけ社会が決めた幸せのカタチという幻想の影響が大、ということなのですが…)

 

 

「自分、日本、地球、太陽、宇宙が生まれる前

宇宙の外から見て、

宇宙まるごと変化させること」

 


そこまでいって、初めて
本物の変化を起こせます。

 


仮にどれだけ時間がかかったとしても

本物の変化をしていく人が増えることを願いつつ


これから本格的に、ブログとして発信していけたらと思います。

思い込みと本物の自由

自分の命よりも大切なものを見つけられたらどれだけ素敵だろうか。

 

 

私は「どうせわかってもらえない」という思い込みが根底にあるのですが、
改めて、どうしてその思い込みによって人と深い関係性を結ぶことができないのかがわかったのです。

 

f:id:mikari9:20180314233122j:image

 

どうせわかってくれないなら、めんどくさいし相手に合わしちゃえ。

自分の意見は二の次。

相手に好かれることが第一優先。

 

それでも、中には私の意向を真摯に聞いてくれる人もいたりして

でもそうするとかえって不安になる、

 

なんだよ、どうせわかってくれないくせに。

いつこいつは愛想つかしてどっかいっちゃうんだ?って。

 

だからだから、

心から人を好きになって、側にいることがほんとうに難しくて

 

 

笑顔でいながらどこかで人の粗探し。

そうやって、相手がどこかいっちゃったときに備えて

決して人を好きになりすぎないように

大切になりすぎないように

 

ある程度距離を取りながら、

でも嫌われるのは怖いから

なるべく相手に合わせて

 

そんなことをずっとずっとやってきて

 

なんだかんだ言いながらも
どこかで愛することを恐れていて

 

いつ分かり合えない瞬間が来るのかと
びくびくしながら人と出会っていて

 

愛したいのに愛することができなくて

じゃあどうしたらいいんだー!

…ってなりつつも

 

なんだかんだとアウトプットするなかで
気付いたのです。

 


それすらも自分の好きなようにしたらいいんだ、
ほんとに自由に私が選択したらいいんだなって。


本当は
分かり合えても、分かり合えなくてもどっちでもよくて

 

わかりあいたいならわかり合う選択をすればいいし

 

そんなことすら私自身が決めたらいいんだということに気付き

 

いつでも自由に選択できる私と対面したとき
とても世界がやさしくなった気がして。

 

いまだに怖いよーってしてる自分もいるけど

それすらも愛しながら
本当の意味で自由を選択し

 

生きていけることを理解したのです。

 

 

 

 

人生と涙の歴史

愛されるのが当たり前な時代があって
泣いても怒っても
転んでもできなくても
周りを笑顔にできる力があって
たぶん多かれ少なかれ
一人ひとり自分史の中でそんな時代があって

 

f:id:mikari9:20180227115638j:image

けどこの社会に出ていったときに
凝り固まった常識と
当たり前と
優劣の相対比較
たくさんたくさん、ジャッジされて

 

この年齢なら
男なら、女なら、
こうあるべきだって
規定されていく

 

生まれた瞬間の
ただ存在しただけで神秘な奇跡であり
愛されているひとつの命の可能性が
どんどんどんどん
小さくなってしまうような、
それはとても悲しいことだと思う

 

 

愛することよりも疑うことを覚え
できることよりできないことに怯え
自分の可能性を決めつけてしまう


涙の決断

 

そこから生まれる人生という名の歴史

 

 

でも、そうやって
どんどん小さくなっていくからこそ
出会える世界も、追求もあるから
人間ってすごいよなって思う

結局すべては愛だなーと
そこにいきつくのでした。